「自分らしくラボ」とはいうけど、
「自分」っていったいなに?
これがね、人それぞれ違ってくるんですよね。
とくに、内面を探究しだすとなにがなんだかわからなくなってくるんです。
だからね、「自分らしくラボ」の「自分」が意味しているものはなんなのか?
これを最初にみんなと共通の認識にしておく必要があると思うのです。
身体は自分?
で、まず「自分」という時に想い浮かぶのは、この「体」のこと。
腕や足や、目や耳や、肺や腸や・・・・爪や髪や・・・・
これらを全部合わせて「自分」といってたりしますよね。
はい。つまり、身体が自分というわけです。
思考が自分?
他には、「自分」のことを「思考」と捉えている人もいますよね。
普段生活していて、あれこれと浮かぶ考え。
会社の上司を見て「いつも頑張っているから手伝いたいな~」と考えたり
来週の旅行のことを想って「沖縄もいいけど、北海道も捨てがたいな~」って考えたり。
そんな考えのことを「自分」としていたり。
考えを馬鹿にされて傷つく人はとても多いことからも
「考え」を「自分」だと認識している人は結構多いです。
感情が自分?
また「感情」のことを「自分」としている人もいます。
何か出来事が起こったときに湧き上がる感情。
イラっとしたり、ソワソワしたり、ルンとしたり。
これを自分だと感じている人もいるんですね。
結局自分って?
さらにさらに、自分を探究していくと、
ただただ、感覚を味わっているだけの「存在」が「自分」となっていきます。
この「存在」が、「自分らしくラボ」でさすところの「自分」です。
目の前のモニターを観ている「存在」。
床の肌触りを足裏に感じている「存在」
昨日のデートの失敗を思い出している「存在」
電話するか、しないか考えている「存在」
モヤモヤした感覚を味わっている「存在」
この「存在」が自分です。
そして、「自分らしく」とは、この「存在」が感じる快、不快を全ての判断軸にすることをいいます。
「自分らしく」とは
体の欲求や、五感の感覚に従うことでもなく、
出来事によって生まれる考えや、感情に従うことではありません。
「存在」が感じる快、不快を最優先にして全てを決めていくことを「自分らしく」といいます。
これを「魂」ともいえます。
自分=魂=本来の願い
宇宙の営みという生命のなかに、「自分」という「存在」があります。
その宇宙というひとつの大きな生命のなかにある、ひとつの「存在」を「魂」ということができます。
この「魂」ともいえるものを「自分らしくラボ」では「自分」として扱っていきます。
つまり、「自分らしく」とは「魂通り」と言い換えることができます。
そして魂には、
何かを創り出して、気持ちよさを感じたり
人に何かを伝えることで、ワクワクしたり
何かを探究することに、集中できたり
それぞれ、特有の感覚があります。
魂ひとつひとつに、それぞれ違った、快と不快があります。
その快、不快を素直に採用することが「自分らしさ」になります。
生まれたばかりの頃、幼いころにあった、本来の願いや
自分という存在が感じる、こうあって欲しいという願い。
本来の願いのことを「魂」ともいえます。
「自分らしくラボ」の「自分」とは「魂」のことです。
「魂」とは宇宙という生命のなかにある「自分」という「存在」のこと。
そしてその「存在」は「身体」「感覚」「思考」「感情」を通して、この世界を受け取っています
そして受け取った時に生まれる本来の願い、快、不快を採用する生き方を探究していくのが「自分らしくラボ」です。